話しの種まき

フィギュアスケートとX JAPAN。

スピリチュアルは神の否定

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実は私は以前、スピリチュアルなものにはまっていたことがあります。

一番のピークは2012年。12月にアセンション(次元上昇)が起こって、私達はテレパシーのような超能力を身に付けられるのだと信じておりました。

今となっては私の黒歴史です。

だから、と言ってはなんですが、羽生選手のあの両手首に付けているパワーストーンを見た時に、その私の黒歴史を思い出してしまいました(笑)

また彼のネックレスが彼の整体師の「念」入りだと聞いて、うわ恐ろしいことするな、と思ってしまいました。

そういうのはね、恐いんですよ。人の「念」の入った物なんて身に付けちゃいけません。たとえその整体師が信頼できる人だとしても、それとこれとは別の話し。信頼できる人だからその人の「念」も信頼できる、ってことにはならない。

人間の「念」なんて「雑念」だらけですよ。

私が住んでいたインドネシアはそういった、人の「念」を強く感じる場所でした。大抵「怨念」でしたが。

あちらの人達は嫉妬心が異常に強く、自分よりも成功したご近所や親戚などを呪うことがあります(゚д゚)。

どうするのかというと、呪術師に頼んでその相手に「念」を送ってもらい、病気にさせたり、悪いことを起こしたりするんです。ブラックマジックと言って、あちらではよく耳にします。

だから普段からそういったことを気にする人は、他所の家に招かれたらそこで出てくる飲み物、食べ物には手をつけない、髪の毛は落さない等、注意を払うそうです。

パワーストーンだって、きっと人の手垢まみれだと思います。いくら浄化していると言ったって、その浄化だって人の手によるものでしょ。月の光に当てたり塩水に漬けたりもするそうですが、そんなこと傍から見ると滑稽なだけです。

本当に綺麗でピュアな物なんて、天然石の採掘場にでも行かないと無いんじゃないですか。

ま、パワーストーンに関して言わせてもらうとすれば、石に力はありません。単なるスピリチュアルビジネスです。普通の石に”パワー付き”と付加価値を付ければ、二割三割増しの値段で売れますから。

羽生選手もああいったおかしな物に頼るのをやめたらいいんですよ。石よりも彼のほうが力がある。五輪二連覇はあのネックレスが無くても達成できたでしょう。

私自身パワーストーンを身に付けても全く何も起こらなかったし、スピリチュアルにはまって何も良いことがなかったので、似たようなことをしている人を見ると、騙されているな、と気の毒になってしまうのです。

早く目を覚ましてね。頭おかしくなりますよ。

だってスピリチュアル言語って本当に訳分かりませんから。宇宙意識とかワンネスとか、次元上昇とか、マスターとか、シリウスとか、プレアデスとか、インディゴとかレインボーとか…マダマダアルヨ( ‘o’)

それで彼らは2012年からずっと宇宙と繋がりワンネスになることを待ち望んでいますが、未だにそれは起こっていません。さすがにもうおかしいと気づかないと。

私が何故そのおかしさに気づいたかというと、聖書を読んだからです。聖書の言葉に出会って、それまでゴチャゴチャしていた頭の中がスッキリしたのです。スピリチュアル言語ってカタカナばっかりで、洋風で味付けして誤魔化して、結局のところはナンノコッチャ、と意味不明ですからね。

確かに一見スピリチュアル系も、聖書と似たようなことを言っている部分がありますが。

「求めなさい、そうすれば与えられる」は”引き寄せの法則”っぽいし、

「喜びなさい、感謝しなさい」、もスピリチュアルな人達がよく言ってるセリフ。

でも絶対に違うのが、スピリチュアルには「神」の存在が無いこと。

聖書は「誰に」求めればいいのか、「誰が」それを与えてくれるのか、これが明確です。それは神様です。けれどスピリチュアルな世界はそこが不明確です。皆それぞれ思い思いの存在に頼っているのです。

神という唯一絶対の存在に頼らず、訳の分からないものに頼る。これがスピリチュアルなるものの実態です。

訳の分からないものに頼っても思い通りに行くはずはありません。しかしそれで途方に暮れたとしても、それはそれを選んだ自分の責任。誰も救いの手は差し伸べてくれません。最後には突き放されて終わりです。

(だから私の出会ったスピリチュアル系の人達は、どこか冷たい感じの人が多かったです。)

しかし神様は違います。私達を耐えられないような試練に会わせることはなさいません。そればかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、逃れる道も備えて下さるのです(第一コリント10:13)。

日本人に足りないのは、神様を信じることだと思います。人間の力には限界があるから、全知全能の神に頼る、それが人生を成功させる知恵なのです。


「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである(第一コリント1:25)」


聖書の言葉は本当に力があります。神様は厳しい方ですから、言葉に力があるのです。

スピリチュアル系が言うような「ありのままでいい」なんて生ぬるいことは決しておっしゃいません。「完全な者になりなさい」と神様はどこまでも厳しいのです。

でもそれを耐え忍んで自分を成長させていく人こそが、「狭き門」を通れる真に選ばれた人なのだと思います。


最後に、私のようにスピリチュアルから抜け出した女性の証言をご紹介します。スピリチュアルがいかに危険かが分かると思います。



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