話しの種まき

フィギュアスケートとX JAPAN。

羽生選手に必要なのは安息である

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羽生結弦選手の国民栄誉賞が授与されました。その時の一問一答を読んで、この人は大丈夫なのだろうか、と心配になりました。

その一部を引用します。

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「スケーターとして人間として、このように素晴らしい賞をいただけるということは、普通ではいけないんだなって自分の中ではちょっとけじめをつけている。これからも私生活含めて、いろんなことに気を遣って、後ろ指さされないような生き方をしていきたい。それは自分のスケート観においても一緒で、これからも全力で自分の名に、そしてこの国民栄誉賞という素晴らしい名に恥じないようなスケートをしていくことが、まずは大事かなと今は思っている」


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普通ではいけないとか、後ろ指を指されないようにとか。

何をそんなに気負っているのでしょう…。彼が日常生活においてまで「国民栄誉賞受賞者」である必要はないですよ。誰もそこまで期待していないと思います。

「○○にふさわしく」とか「○○らしく」とか彼はよく口にしますが、その”らしさ”とは一体何なのか。誰か明確に答えられる人がいますか? いないでしょう。

確かに五輪金メダリストとしてふさわしい演技というのはあると思います。流石金メダリストだな、と思わせる演技はきっとあるでしょう。

でも金メダリストらしいふるまい、となると訳がわからなくなります。果たしてそんなものが存在するのでしょうか。ただでさえ礼儀正しい羽生選手です。普通にふるまっていればそれで十分ではないですか。

国民栄誉賞に至っては、別に自ら望んで得た賞ではないわけです。政府が勝手にくれたものです。だからそこまで受賞者としての責任を感じる必要はないと思うのですけど。しかも、「国民栄誉賞にふさわしいスケート」とまでなると、もう聞いているこちらが苦しくなります。

彼の発する一言一言が重すぎます。先ほどのニュース記事も全部読めば、これが本当に若者の受け答えなのか、と思えるほど余りにも堅苦しく、読んでいて苦しくなる。

今の彼に必要なのは名誉や賞じゃなく「安息」だと思います。

単なる休息ではない、完全にフィギュアスケートや世間の期待から離れて休む「安息」。

いきなり聖書の話しになりますが、旧約聖書の「創世記」では、神は天地を創造されて七日目に休まれました。

「レビ記」では、神はご自分が与えた土地を六年間は耕して収穫を得てよいが、しかし七年目には土地に安息を与えねばならない、とおっしゃっています。その為に民が飢えることがないようにと、六年目には三倍の実りを与えてくださいます。

神様は私達に働いたら休みなさいとおっしゃる、しかも休みの間も食べていけるようにとボーナスまで下さるホワイトな方なのです。

羽生選手の人生に大きな影響を与えた東日本大震災。その後、彼をこれで知ったという人が多い、2012年のニースでの世界選手権。

そこから今シーズンがちょうど七年目なんです。だから今年は彼の「安息年」になるのです。ハイ。

一年休んで栄養を蓄えた土地からは、以前よりも多くの収穫がある。

彼も最初は平昌後に引退するような人生設計を描いていたと思います。彼は五輪二連覇までしか視野にいれていなかったと思います。

それがいつのまにか「五輪三連覇」という話になってきていませんか?彼の周りにいる彼を金の成る木としか思っていない人達が、彼を引き留めたいのだろうとは思いますが、

確かにそれは魅力的ですよ。でも悪魔の罠です。これ以上欲張らないほうが絶対にいいと思います。

フィギュアスケートはもう十分極めました。だからこれからはもっと違うことをやってみたらどうでしょうか。趣味はゲームみたいだけれど、それはそれでちょっとどうかと思う。

これから更に四年も休まずに走り続けたら、それこそどこか故障してもおかしくはありません。精神も肉体もきちんと休みを取らないと悲鳴をあげますよ。

現役続行ということは、これからも以前と同じ生活をするのかな。トロントにいながらナイアガラにも行かず、どこにも行かず、母親に身の回りの世話をしてもらいながら、リンクと家の往復だけの生活。

これが果たして健全な生活なのだろうか、と思ってしまうのです。ええ、ファンですから心配です。

羽生選手にもし今「五輪三連覇」などという欲が湧いてきているとしたら、それは大変好ましくない状況だと私は思うのですが、どうでしょう。


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